父の会社の倒産と“65店舗あった店舗を最速で30店舗まで撤退”などの経験から得たもの
一般社団法人 日本ファミリービジネスアドバイザー
The Family Business Advisors Association Japan
Authorized Family Business Advisor
(2020.07.09 寄稿)
私は現在、関連会社を含め、3社の役員、昨年売却した元関連会社の顧問をしております。
いわゆる、ノンファミリー幹部です。
私は FBAAで学び、協会理事長が書かれた「長く繁栄する同族企業の条件」は15回も読み返しました。
そして、FBAAの学びを、その時々の問題解決の糧にして仕事にあたって参りました。
私の実家は化粧品のOEM工場でした。
父は、私が小学3年のときに脱サラし、知人の会社を引き継ぎました。
それ以降、父親は家庭にお金を入れることが無くなりました。
私が社会人二社目の頃、父の会社は倒産しました。
父の会社は、ファミリービジネスなどと言うには程遠いもので、事業承継など考える余裕もないうちに、倒産に至ったのだと思います。
このような家庭環境から、自らが在籍する会社の業績が厳しくなった場合でも、「最後まで、この場から逃げるわけにはいかない」そのような性格形成が行われました。
2007年、私は今の会社に入ります。
2009年、会社は売上高・店舗数ともに絶頂期を迎えました。
安定した未来が約束されているかのように思えた“この時期”に、会社は事業承継に向けて本格的に動き出します。
“外部環境の変化”と“企業規模の拡大”に加えて“事業承継”によって、会社にとって、ファミリーという新たな管理項目が加わりました。
会社の管理負担は限界に達しました。
そして、この期を境に会社の業績は下降の一途をたどりました。
今にして思えば、その時にFBAAで学んでいれば、協会理事長が書かれた「長く繁栄する同族企業の条件」に基づき、現状起こっている問題に気づき、“外部環境の変化”と“企業規模の拡大”に向けて、正しい危機感を持てたのではと思います。
また、“ファミリーの規律と教育”に目を向けることで、ガバナンスの均衡が保てたのではと思います。
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FBAAとの出会いは、FBAAで学ばれた慶應大学商学部の大先輩がFBAAのテキストを貸して頂いたことから始まりました。テキストを見た私は、FBAAでの学びは、当時の私が解決できずにいた多くの問題を解き明かしてくれるような気がいたしました。大学の先輩とのご縁がきっかけで、私は2018年4月より、6期生としてFBAAで学びはじめました。
私がFBAAで学んでいる間にも、会社の業績は益々厳しくなっておりました。
2018年秋口、私はあらゆるケースを想定に入れて、会社の将来についてシミュレーションを始めました。
そして、2018年12月、会社は存続に向けて大きな決断をいたします。
“65店舗あった店舗を最速で30店舗まで撤退する。
撤退発表の時期は2019年1月7日、一部の管理職のみに行う。”
早速、私は撤退の進行方法について練りはじめました。撤退と新規事業については、協会理事長の本の中に疑似創業体験と書いてありました。貴重な経験をさせて頂いたと言ってしまえば、当時辞めていかれた社員の方々に対して不謹慎なような気がします。
大きな犠牲を強いるからには、私の方も無傷であってはいけないと思いました。
私は、 “65店舗から30店舗への撤退” “撤退によるチェーンオペレーションの組み換え” “医療機器事業の立ち上げによる事業構造の組み換え” これらの仕事を、この会社で行う最後の仕事にしようと決意しました。
その旨を代表に告げ、それからの私は不眠不休で仕事にあたりました。
7期生の方々と一緒に、再度FBAAで学ばせて頂きましたのは、正に このような時期でした。この時も、FBAAの講義、そこで学ぶ方々からの言葉が、数えられないほど多くの気付きを私に授けてくれました。
ノンファミリー幹部の育成の講義では、事例を報告されたノンファミリー幹部の方が経営者に報連相を厚くしたことで、経営者との信頼関係を増していったということを学びました。
この頃の私は、決めた仕事を終えた後は会社を去ろう。そう決めておりました。私は、引継ぎも兼ねて代表者への報連相を厚くしていきました。その結果、今の会社で全ての仕事を終えようという今になって、代表との間に根深くあった相互不信感が解けてきたような気がしました。FBAAで学んだことが、自らの仕事にそのまま生かされました。
その後、撤退の効果は、予想以上に早く出始めました。2019年8月には、広告反響が回復し、現金預金の減少が止まり始めました。途中、足元の回復もあり、2019年9月、撤退は当初より1店舗多い31店舗で終息致しました。
2020年3月6日には、10年以上の開発が実を結び、医療機器製造販売承認の認可を受けました。今後は、医療の分野への取り組みを活かしてブランドイメージの再構築を図っていくものと思われます。
私はFBAAでの学びが、多くのことを気づかせてくれたこと。
また、そこでの学びが、本来であれば辛い体験すらも、気づきの機会に変えてくれたことに深く感謝しています。
FBAAは一生学び続けられることが他の学びの場では得られない大きな財産だと思っております。これからも、ここで出会った方々と一緒に学び続けていければと思います。
北島誠士 Profile
1969年 埼玉県さいたま市に生まれる
1994年 慶應義塾大学商学部卒業
1994年 大正製薬株式会社入社
1998年 コンビ株式会社入社
2006年 マルマン株式会社入社
ヘルスケア事業部長(2007年 マルマンバイオ取締役)
2007年 現在の会社に入社
2016年 兵庫県立大学大学院経営研究科卒業、中小企業診断士、MBA
現在、関連会社含め3社の役員、元関連会社1社の顧問を兼務